• 2024-10-06

メルセデス・ベンツ、ベルリンでの25周年を祝うシンポジウムを開催

メルセデス・ベンツ販売ドイツ(MBVD)はシュトゥットガルトからベルリンに移転したのが25年前。そして、10年前にはベルリン・フリードリヒスハインの現在の場所に移転した。このダブルアニバーサリーを記念して7日、MBVDが祝賀イベントを開催した。連邦経済・気候保護省のミヒャエル・ケルナー事務次官やメルセデス・ベンツ・グループAGのオラ・ケレニウスCEOらによる基調講演に加え、モデレーターのサビーネ・クリスチャンセン氏が率いるパネルディスカッション「交通の変遷、e-モビリティ、新たな競争:自動車産業は次の25年に向けて何を準備する必要があるのか」が行われた。

メルセデス・ベンツドイツ販売25周年記念式典で講演する メルセデス・ベンツ グループAGのオラ・カレニウス会長。

オラ・カレニウス、メルセデス・ベンツ・グループAG取締役会会長は「メルセデス・ベンツとベルリンは、100年以上にわたって共に歩んできた。私たちの最も古い工場であるベルリン・マリエンフェルデ工場は1902年からこの地で生産を行っており、1990年代末のメルセデス・ベンツドイツ販売の移転も、ドイツ統一首都としてのベルリンへのコミットメントだった。現在、ベルリンでは約9000人の従業員がメルセデスのために働いている。メルセデス・ベンツとベルリン、この結びつきには長い歴史があり、活気に満ちた現在があり、そして成功の未来があると確信している」と話した。

ポツダム広場と現在のベルリン・フリードリヒスハインにおけるメルセデス・ベンツの関わりは、ドイツの首都にとって形成的であった。ポツダム広場用地の取得を決定したのは1989年夏、ベルリンの壁崩壊の数カ月前だった。この決断は、ポツダム広場が近代的な中心市街地として再建される上で決定的なものだった。 長年の分断の後、東ベルリンと西ベルリンはここで再び結ばれ、首都で最も重要な広場のひとつは、こうして新たな文化的・都市的意義を持つようになった。ベルリン・フリードリヒスハインでは、メルセデス・ベンツが再びベルリンの新しい都市地区の創造に貢献した。メルセデス・ベンツは、ベルリン・フリードリヒスハインにおいて、またしてもベルリンの新たな都市地区の形成に貢献したのである。一方、ミュレン通り沿いの、屋根に星のマークが描かれた建物を中心とするエリアは、ビジネス、文化、住宅地として人気を集めるようになった。

メルセデス・ベンツ・カーズ・セールス・ドイツ(MBD)のイェルク・ハイナーマン代表は「過去25年間を振り返ると、メルセデス・ベンツ販売ドイツとベルリンのつながりは、間違いなくサクセスストーリーと言える。ベルリンのダイナミックで革新的な特性は、技術的、経済的、文化的な発展を常に特徴づけてきた。セールスセンターとして、自動車販売における先駆的な役割を維持するために、私たちはこの若くエネルギッシュで国際的な都市の刺激から恩恵を受けている。私たちは自動車販売における革新の重要な原動力であると同時に、この素晴らしい都市から新たな刺激を受け続けることができる」と述べた。

メルセデス・ベンツ・バン欧州・ドイツ地区セールス&マーケティング責任者のデイヴィッド・ペルドモ・ホラッツ氏は、「救急車であれ、警察車両であれ、清掃車であれ、宅配便サービスであれ、ファミリーバスであれ、私たちのバンはベルリンで生き生きと走っている。街の多様性と当社の製品、顧客、従業員の多様性は、ベルリンで25年間、素晴らしい組み合わせとなっている。ルートヴィヒスフェルデのバン工場によって、私たちはまた街の郊外に重要な生産拠点を持つことになり、これもまたメルセデス・ベンツ・バンとベルリン地域のつながりを強調するのに役立っている」と紹介した。